知多半島の山車  
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からくり人形/人形作者

 

「からくり人形」
■カラクリの歴史は古代エジプトより
■和時計の元祖は尾張から
■からくり人形には神が宿る
■尾張のからくり人形
■知多におけるからくり人形の始まり
■宝暦頃のからくり人形
■大野のからくり
■人形浄瑠璃が今も上演されている
■前棚で演じる三番叟人形
■山車からくりにも時代の変遷が
■からくり人形作者たち
 初代玉屋庄兵衛
 竹田寿三郎
 竹田藤吉
 鬼頭二三
 初代隅田仁兵衛
 二代目隅田仁兵衛
 竹田源吉
 五代目玉屋庄兵衛
 土井新三郎
 六代目玉屋庄兵衛
 七代目玉屋庄兵衛
 地元のからくり作者
■南吉と三番叟

 

■南吉と三番叟

 半田出身の童話作家、新美南吉は子供の頃より岩滑の西組御福車の三番叟人形を間近に見てきた。それが作品『狐』に当時の雰囲気が描写されているので載せる。
 「人形はおとなとも子どもともつかぬ顔をしています。その黒い目は生きているとしか思えません。ときどき、またたきするのは、人形をおどらす人がうしろで糸をひくのです。子どもたちはそんなことはよく知っています。しかし、人形がまたたきすると、子どもたちは、なんだか、ものがなしいような、ぶきみなような気がします。
 するととつぜん、パクッと人形が口をあき、ペロッと舌を出し、あっというまに、もとのように口をとじてしまいました。まっかな口の中でした。
 これも、うしろで糸をひく人がやったことです。子どもたちはよく知っているのです。昼間なら、子どもたちはおもしろがって、げらげらわらうのです。
 けれども子どもたちは、今はわらいませんでした。ちょうちんの光の中で、−かの多い光の中で、まるで生きている人間のように、まぼたきしたり、ぺ、ぺロ口ッ舌を出したりする人形……なんという、ぶきみなものでしょう。」

 

文・本美信聿 (郷土史研究家)

総合文芸誌「ゆうとぴあ」に参加執筆されている本美 信聿様のご厚意により、公開させていただきました。

 

 
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