羽豆崎城

勇名馳せた師崎水軍

千賀孫兵衛重親は羽豆崎城の楼上にたった。遠く海原から運んでくる潮風が快い。佐治氏の陣代とはいえ、念願の城持ちの身分となったのだ。つい顔がほころんでくるのが自分でもわかる。

明るく光る紺碧の水平線に長く横たう篠島と日間賀島、それを取り巻くように点在する小さな島々。右の海の彼方に霞む山峰は志摩の国。正面の小山は伊良湖崎。右手を望むと三河の山々が黒く連なっている。

岬は海中に矢のように細長く突出し、波が洗う崖は切り立ち人を寄せつけない。天険要固の城である。広大肥沃な尾張平野と三河をひかえる、伊勢湾と三河湾の喉元にあたる羽豆岬に、なぜ城が築かれたか、重親にはここに立ってみて容易に頷けた。

羽豆岬は日本武尊の東征に水軍として従った但馬連の拠点であった。東征の帰途、水軍を統率した建稲種命が水難に遭い、その衣服が岬に漂着した。それを神として岬上に祀ったのが羽豆神社である。古代より海上交通の要衝として岬に見張り所が築かれた。

南北朝時代、羽豆崎城は熱田神官の大宮司千秋昌能自ら南朝方の拠点として守る。東海道筋を足利勢に押さえられた南朝方は海上輸送に頼らざるを得なかった。東国より吉野に入る中継地として利用された。義良親王(後村上天皇)、宗良親王、脇屋義助も城に滞在する。

南朝方の重要拠点であった羽豆崎城も、南朝が衰え、足利一族の一色氏が支配するところとなる。一色氏の代官として佐治氏が入る。

渥美半島を中心に勢力を伸ばしてきた戸田氏も羽豆崎城の地の利に目をつけた。四方の海に睨みがきき、伊勢湾と三河湾の航海権を把握することは、航行する船舶より得る税により財政が潤うことになる。佐治・戸田の両者が和解なり交代で羽豆崎城に陣代を置くことになった。佐治氏の陣代が千賀重親であった。

千賀氏は伊予(愛媛県)の出身で、為重の代に志摩国千賀(鳥羽市)に移る。その後、熊野より進出した九鬼嘉隆に攻められ、一族は知多の須佐(豊浜)に闇に乗じて必死に逃れた。そこを佐治氏の家臣に加えられたものだ。

千賀重親は羽豆崎城の楼上より眼を凝らすようにして水平線の彼方を睨んでいた。今や年老いて、初めて羽豆崎城にたった時のような覇気はなかったが、褐色に日焼けした顔に深く刻まれた皺が歴戦の勇者であることを物語っている。これまでに徳川家康に従い、水軍の将として幾度かの戦功をたてた。その自信が鋭い眼から窺われる。水軍は息子の与八郎信親に任せているが、まだまだ胸の血が騒ぐようだ。

家康が会津の上杉攻めに陣を構えている間に、石田三成が俄かに挙兵したとの情報を一早く知った重親は、石田方に味方するであろう九鬼勢の動静を見張っているのである。

「こたびの戦さこそ、わしらが一族の屈辱を晴らす機会ぞ」

隣で海原を見つめる重臣の稲生重政に呟いた。千賀一族にとって、九鬼は志摩を追われた仇敵である。その無念さは重政にも充分わかった。重政も元は水野信元の家臣として亀崎城(半田市)を守っていたのだが、信元が池鯉鮒で謀殺された後、水野一族は離散の憂き目にあう。稲生重政も浪人として諸国流浪のところを千賀氏に客分として招かれたものである。

「孫兵衛様、あれは九鬼の船団ではございませんか」

海の彼方を見つめていた重政が叫んだ。

「オゥ!いよいよ敵が動いたか。それィ陣太鼓で与八郎に合図せよ」

慌ただしく太鼓が打ち鳴らされた。それを待っていたかのように、湊より何十艘もの船が帆に風をはらませ、伊勢の海目がけて滑り出していった。

虚を突かれた九鬼勢は慌てふためき船団を乱す。それを取り囲むように与八郎の掛け声に合わせて師崎水軍が攻撃を仕掛ける。見事なまでに統率された千賀勢に、九鬼の船は蜘蛛の子を散らすように四方八方に逃げ去る。それを追い次々と軍船を捕獲していった。

「与八郎もなかなかなものじゃのう」

重親は感嘆の声をあげるとともに、長年つかえていた痛みが消え去った思いがした。

千賀与八郎率いる師崎水軍は大坂冬の陣と夏の陣で活躍し勇名を馳せる。中でも稲生猪右衛門重政の奮戦は凄じく、大阪方の軍船大阪丸を捕獲する手柄をたてた。船中に大坂城落城に際して脱出した姫君であろう、侍女を従え震えているのを見つけた。名のある武将の姫であろうと、帰還してからも延命寺に手厚くもてなした。だが名も名乗らず、この姫はある夜のこと哀れにも自らの懐剣で喉を突き自害して果てた。

戦さのない時代になると羽豆崎城は打壊され、その古材にて師崎の村落に千賀屋敷を築いた。千賀屋敷には徳川家康も何度か訪れ宿泊している。

その後の千賀氏は、尾張藩の御船奉行として代々仕えた。

文 本美信聿(郷土史研究家)



羽豆崎城のあった羽豆岬には今も羽豆神社が祀られている。岬―帯のウバメガシを主とした社叢は国の天然記念物に指定されている。城跡の地に石碑が建つ。岬の展望台よりの眺めは羽豆崎城の時代を彷彿とさせるほど伊勢の海が―望できる。

大坂城落城悲話を伝う、名も知れぬ姫を葬つた宝籤印塔の姫塚と、懐剣を納めた石室が延命寺にある。その近くに千賀屋敷の碑が建つ。

干賀―族の墓碑は南知多町豊浜の正衆寺にある。