知多半島の山車  
次のページへ  【知多半島の風トップへ】
山車まつり

第2回 「山車まつり」

「山車まつり」
■大府市
■阿久比町
■半田市
■武豊町
■美浜町
■南知多町
■常滑市
■知多市
■東海市
■夏祭りは「女のまつり」
 尾張は山車まつりの宝庫といわれるように、各市町村で、それぞれの山車が祭礼の華として町内を練る。
 今回調査した結果、知多半島において、半田市の三十一台の山車を筆頭に、蔵にいまだ眠る山車を含めると百十余台もが現存することがわかった。過去において山車を曳き回していた地区を加えればさらに数は増す。
 私の子供の頃は山車の名を「オクルマ」または「オックルマ」と呼んでいた。「はんだ山車まつり」の前後に山車の名称で、しばし戸惑い「サンシャ」「ヤマグルマ」「ダシ」などと言っていたが、どこか耳慣れぬ響きに気恥ずかしささえ感じたものだ。最近では「ダシ」の名で一般に呼ばれるようになった。江戸時代の記録をみても車楽、祭楽、地車、山車と様々な字があてられている。
「ダンジリ」とルビをふる書物が多い。名古屋では山車そのものを「オマツリ」と呼んだ。地域によっては館、屋形の「ヤカタ」とも呼ばれたようだが、東浦町らにみられる彫刻で飾られた小型の神座のことで、祭礼時に渡御の行列につき、役員らに担がれたり、綱で引かれたものを館といい、ここでは区別しておきたい。
 全国的には前記の名称の他に、曳山、屋台、山鉾などの呼び方もあるが、この地方では山車の名が一般化している。
 山車の起源については遠くインドに始まるといわれている。我が国では、祭礼に山車が登場したのは長徳四年(九九八)に京都祇園祭が初めてといわれている。「ダシ」の意味については折口信夫によれば、「だしの本来の意味は、神の依りしろを示す象徴のことで、数ある木や棒のなかで、これぞ神のはるべき木ということを示すために矛や杉の葉をその先につけて出した、これから生まれた言葉……」という。さらに標山(しめやま)の系統の飾り物をいい、高く聳やかし、神々の注視を惹こうとするものという。
 村々の氏神が、神の依しろたる山車に降臨し、村の隅々を巡り、村人とともに祭を楽しむもの。移動神社のようなものが山車であると理解したい。
 日本全国に様々な形態の山車祭りがあるが、知多半島の山車は、再造や改造を繰り返し、時代によってその様式を変化させてきた。現在の山車は神社と寺院を合体したかのような形を特徴とする。町内を威勢よく曳き回すことを目的とした山車が主流を占める。重厚で立体感あふれた彫刻、豪華な幕などの刺繍、絢爛たるからくり人形の舞い、いかにも華やかで男らしい祭りが知多の山車祭りである。
 知多半島の山車を大きく分ければ、前山のある知多型山車と、前山のない名古屋型山車とに分類されよう。知多半島の旧い山車を伝えるものに知多市寺本の八幡神社に伝わる『八幡宮祭礼式の図』と、半田市乙川の八幡神社の『乙川祭礼山車絵図』のふたつの絵巻がある。ともに宝暦五年(一七五五)に描かれたものだ。両者を比較してみると、上山に大型のからくり人形が乗るのは共通しているが、他に微妙な違いをみせている。寺本の山車には前山がない。だが後楫や前楫はついている。乙川の山車には前山があるが、楫棒がついていない。また前棚に御幣を持った神官が乗る。寺本と乙川の山車の違いに名古屋型山車と知多型山車の原形を窺うことができる。
 因みに名古屋の山車は采振り人形の乗る采振り棚のある山車が多いが寺本の山車にはそれが見られぬ。また楫棒は名古屋の山車にはかならずついている。輪も外輪のものと内輪のものとがあるが、寺本、乙川ともに内輪型の山車である。
 この台輪の外に輪がある山車と内に輪がある山車とで知多の各地の山車で違いをみせるが、外輪型の山車は旧い山車といえよう。現存する山車で、微妙な山車様式の差などから、山車制作年代を推定していく方法もあるが、いま少し時間をかけ、資料を整理しでいきたい。
 今回は知多半島の山車祭の紹介を主目的とし、山車の建造変遷らについては、今後の課題として留めておきたい。また、知多半島に限らず、周辺地方の影響も考慮しで調査を続ける必要がある。
 なお、各地区の山車は、新しく建造されても、時代の流行や老朽化によって再造、改造が繰り返されてきた。ここでいう再造は、何らかの事情により山車を売却したり処分したために新しい山車を建造したことをいう。改造は、旧い山車本体をそのままいかし、修復や彫刻らを加えることをいう。山車制作年代や改造年代については、後記の参考資料をもとにしたが、その中でも大きく違うものがあり、どれを選択するか判断に苦慮した。このところ市町村史誌が続々と発刊され、古文書などによる新資料が発見されていくため、祭礼に山車が登場する年代がさらに古く遡ることとなりつつある。これからの調査では、村で山車を保有する以前の祭礼内容を含めて考えていかねばならないであろう。
<知多半島の風ページへ 次のページへ>
10

-1-